2025.3.10
〇議会と行政は車の両輪ではなく、前輪は首長と職員、後輪は議員と住民の4輪駆動で、介在する動力の燃料は金ではなく愛です。ちなみに日本語の50音別の最初は、愛上・オーです。なお前後輪は、案件により逆になる場合もあります。 2025.3.2
〇国民・市民が目尻に皺ができるくらいの喜びを得るために、為政者(首長・公務員)は眉間に皺をよせ、苦悩しなくてはいけません。その代償として横手市では税金から、秋田県一の高給与が為政者に、また報酬として議員に支払われています。
〇見逃せないカタカナ語の氾濫
日本人である我々は日本語を大切にし、巷に氾濫しているカタカナ語は控えるべきです。 コンプライアンス(法令遵守)は間違いで、法令遵守(コンプライアンス)です。こんな表記をし日本語文化をダメにするマスメディアには猛省を促したい。
カタカナやひらがなは一字一字を見て判断・理解しますが、漢字は絵と同様で字体を見た瞬間に、ある程度の理解が可能です。
漢字を覚え理解するのは難解ですが、字体に意味を含み一目瞭然に理解できる漢字もあります。 カンジの奥深さ芸術性を認識しない日本人が多すぎます。
2023.5.24 記 全国各地同様ですが横手市の将来も人口減、税収減、少子化と減ることばかりです。この減が増になることに期待は持てません。
日本国は科学という教育的なソフト面を重要視しなかったため、世界から遅れ追いつくのは無理な状況になっています。そんな日本国を反面教師にし、横手市はソフト面・人間力の向上を目指さなければなりません。
[有能な市職員の能力の使用方][市民の発言、意思表示、政治意識]、両者がメンタルを過去から大きく変化させる事により、スーパー公務員・スーパー市民が出現し、横手の伸びしろは青天井となり、これを境に「横手コンジョウ」のネガティブ語が「よこて魂穣(こんじょう)」のポジティブ語になります。
賛同・同調を求めてはいません。事実を基にした各種情報の発信で、提案と受け止めてください。 当方の想いも入っていて賛否ありますが、どう判断するかは読者です。
「横手コンジョウ」がはびこる「ジャンゴ横手」に少しでも変化が起きたらと願っています。
変化を期待し関係者・関係機関に届くよう、拡散協力よろしくお願いします。
ジャンゴ横手の「地域性」 2024.12.22 記
・意見を述べず積極性がない(後出しじゃんけん)。
・出る杭を叩き足を引っ張る。
・見栄っ張りでひがみっぽい。
・言動に対して評価でなく批判で返す。
・肩書や経済力を重視し権威を尊び真実を見誤る。
・狭い地域なので良かれ悪しかれ情報の伝達が早い。
・同調性が高く(利害有る) 異質を排除し、同調圧力(脅し?)が強く反映する。
・金太郎飴の輪切りのように全国一律の事に経費を掛け、パイの取り合いに拍車をかけている。
上記の総称が「横手コンジョウ」となります。
リスク回避?逃げ場の確保?を優先するため全国初の文言は横手では死語です。
数少ない著名芸能人のような横手市生まれ、横手市以外の育成ではなく、生まれ育ちも横手市のジャン・GOスター(人でなくとも良い)の出現を望んでいます。
雪国よこての雪の利活用⇒「ジャン・GO!よこて雪物語」をタップもしくはクリックしてください。 ◎ブログ一覧に番外編を設け、「ジャン・GO!よこて雪物語」に関する、歩行方の詳細「正しい歩行方」、また歩行にとって靴は欠かせない道具です。「足に優しくない、足に良い靴とは」(靴は足を退化させる)を掲載しています。
〇投票は国民の義務ではない! 憲法に規定されている義務は教育の義務・勤労の義務・納税の義務の3つだけです。
権利として生存権・教育を受ける権利・参政権があります。 義務とは「~しなければならない」・権利とは「~出来る」です。義務は放棄できませんが、 権利は放棄する事ができます!
【選挙の目的】
参政権の投票・立候補は資格がある国民が持っている権利ですが、「投票は国民の義務」と思っている人が大多数で、投票率向上のために投票することが目的となり、選挙本来の目的から逸脱します。
権利の行使のためには国民・市民は社会は政治で動かされている事を認識し、自分の投票行動(棄権・ 白票も入ります)に責任を持つ必要があります。
選挙公報に関して{ブログ一覧の市長選挙を終えて参照}
立候補者は有権者に投票の権利を行使させるために、考え方や政策を言葉や、文章で表現をしますが、「口だけでは信用できないから書面で」立候補者と有権者との契約であり、投票先の判断材料である 選挙公報が重要です。通常は両者で契約内容を精査しますが、選挙公報は立候補者側の考えのみで記載しますので、立候補者側の資質が問われます。
公約を遵守しなかったり、争点から逃げる選挙公報の利用の際には、有権者の投票の権利は行使されず、棄権の権利を行使します。
また選挙公報に「当選したら」の字句がない限り当落に関係なく記載した事項は守らなければなりません。守らなければ当選者であっても権利の行使者への裏切り行為で死票になります。
選挙公報の重要性を認識しない、また記載された公約を軽んじる立候補者、それにも関わらず投票する有権者。立候補者・有権者共に問題があります。私はケツクソ鼻クソ状態です。
前回の市長選挙で選挙カーの運行の際、同乗者の企業名・肩書が連呼され、数分間は立候補者の名前が聞こえてきませんでした。同調圧力(別称脅し?)の影響力が強く反映する地域性の利用でしょうが、企業の宣伝をしているとも解釈されます。選挙カーのウグイス嬢・運転手・車リース・車燃料の経費に公費(税金)が使用されています。違反にはならないのかな? こんな事に公費を使用しながら「投票を義務」とすることは、目クソ鼻クソ状態を助長しています。
過去の選挙では私も公費負担を受けていました。
世襲候補・多選候補・当選しても国会に出席しない議員・数年前にテレビで泣いていた関西方面の県会議員等の当選者に対してマスメディアを含めた世間は批判的ですが、彼らには立候補の権利が有ります。批判の矛先は立候補者ではなく投票した有権者側です。
「投票は国民の義務」と認識している有権者が多く、義務感で投票するため政治意識が低い有権者は立候補者の政策や政治信条よりポスターで見た、握手をした、名前を聞いた、若い、美人、有名人、芸能人、著名人、メダリスト等々に投票し、ミーハージャップ状態・目クソ鼻クソ状態です。
権利の行使は能動的であり積極性が必要で、後悔もしますが反省し、進歩していきます。 義務は受動的で消極的で、投票行動に対して責任感も持ちません。
権利とすることで投票率は下がると想定されますが、権利と義務とでは1票の価値に大きな差が出ます。選挙の目的を考慮すると「投票は国民の権利」が妥当です。
いつ・どこの機関が「投票は国民の義務」としたのかは分かりませんが、不合理性を認め関係機関は「投票は国民の権利」と改めて、広報しなくてはいけません。
選挙は政治の土台であり、投票率の向上が目的の「投票は国民の義務」のスローガンは現在の国政・ 市政の政治状況の元凶で、政治が地盤沈下し将来が危ぶまれます。
本末転倒ですが、有権者が変化すると立候補者側も変化し、お互い政治的に成熟されていくはずです。
*数10年前の旧横手市および旧平鹿郡選出の県会議員は横手市内に秋田ふるさと村の誘致を薦め、さらに他方面でも存在感はあったと思っていますが、最近は県会議員の必要性を感じることができず、4月に行われた県会議員選挙で私の投票の権利は棄権という形で行使しました。義務としての棄権は後ろめたさが有りますが、権利とすると理由が有っての棄権で、ポジティブな権利の行使です。
〇 選挙とは、選挙費用削減 添付材料:前回の選挙用看板入札結果
選挙とは「政治のために生きる」為政者である適格者および未来の選択の行為です。
「政治で生きる」人の選択、投票率を上げるための行為ではありません。
選挙用看板の設置撤去費用、それに貼るポスター、選挙カーに関わる費用、有権者に出す葉書代に6千万円以上の税金が使用されています。(前回選挙の税負担分添付します)ポスターを張るだけの行為に4千万円以上掛かっています。ポスターで「政治のために生きる」適格者を選択する事はできません。車社会でなかった大昔の負の遺産の一つです。
選挙カーでは名前の連呼は許されていますが、運行しながらの演説は禁止されています。
名前の連呼だけでは「政治のために生きる」適格者の選択はできません。
名前の連呼は有権者への刷り込みで、有権者をバカにした行為です。選挙が近くになると増える立候補者の名前と後援会連絡所と書いた看板と同様です。
選挙用看板、選挙カーの運行費の支出は税金をドブに捨てているようなものです。
○選挙公報の立候補者に与える紙面を大きくまた、刷り色をカラーにする等で選挙用看板は不要になります。
○公約・政策等の説明のための演説会場の使用料に税金を使用するべきです。
選挙に税金を投入する時は「政治のために生きる」適格者の選択が出来ることに支出するべきです。
投票率をあげるためか、告示日翌日から期日前投票が始まります。
立候補者の公約等が記載されている選挙公報が配布されるのは告示3日後位です。選挙公報は「政治のために生きる」適格者の選択には最高の材料です。選挙公報配布前の投票行為は「政治のために生きる」適格者の選択を放棄していると考えざるを得ません。
期日前投票の投票率が上がっています。投票率を上げることが選挙の目的ではありません。
期日前投票の為にも人件費等に税金が使用されています。
条例等の壁があり上記の様な選挙費用の撤廃が可能か否かは分からないが無駄な出費です。


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